福知山の自然遺産(地質地形・景観)
〈地理院タイル(淡色地図)を加工して作成〉

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1 鉄鈷山のビカリア化石
2 板生の頁岩層の渓谷
3 夜久野鉱山と鉱石
4 田倉山火山
5 田倉山火山(玄武岩柱状節理)
6 夜久野町の中世代前期の重要化石
7 富国鉱山と鉱石
8 花こう岩の巨石ー仏岩
9 三岳山
10 姫髪山
11 小野脇の採石場跡
12 福知山層とアオカズラ層
13 かしの木台の青黒い石
14 南陵中学校ー福知山城の段丘地形
15 前田、堀の段丘地形
16 長田野台地と養老水
17 ポンポン石と鏡岩
18 三峠断層
19 棚田不動尊の滝
20 チャートのしゅう曲
21 古生代・中生代の境界(P/T境界)
22 鹿倉山
23 烏ヶ岳、鬼ヶ城
24 大江町の中・古生代の化石
25 公庄の円礫岩
26 加久藤火山灰層
27 銚子ヶ淵
28 仏性寺鉱山と鉱石
29 岩塊流と二瀬川渓谷
30 毛原の棚田
31 千丈ヶ滝をつくるかんらん岩
32 河守鉱山と鉱石

1 鉄鈷山のビカリア化石

暖かい海の時代
約1500万年前(新生代新第三紀)、丹後半島から夜久野北部の田谷・鉄鈷山一帯は浅海でした。ピカリアはその当時の海底の砂岩から産出する巻貝の化石です。ソフトクリームのような形で、殻の表面には大小の深い突起があります。見た形と光沢から、別名「月のお下がり」(うんち)とも呼ばれています。ビカリアは暖かい海水を好み、しかも淡水が流れ込む塩分のうすい入り江のようなところに住んでいたと考えられています。同じ化石は、舞鶴市の東部から高浜、遠くは岐阜県の瑞浪地方でも見つかっています。


出典:福知山の自然遺産 2014


2 板生の頁岩層の渓谷

日本海が生まれたころ


出典:福知山の自然遺産 2014


3 夜久野鉱山と鉱石



出典:福知山の自然遺産 2014


4 田倉山火山

田倉山(宝山)の噴火とスコリア丘
府内で唯一の火山・田倉山の春の景観です。噴火時の溶岩噴出は3回におよび、最後にスコリアといわれる黒っぽい軽石などが降り積もり、田倉山 (349.7m)のスコリア丘が形成されました。今から約30数万年前と考えられています。空中に飛び出し冷えた溶岩の中には、紡錘形のものや写真のようにねじれたラグビーボールのような火山弾も見られます。溶岩が流れ出したときには当時の谷や川がせき止められ、一時的にそこに湖沼ができました。夜久野玄武岩公園のすぐ近くにはそれを物語る粘土層が見られます。


出典:福知山の自然遺産 2014


5 田倉山火山(玄武岩柱状節理)

夜久野高原の小倉玄武岩溶岩
田倉山火山の最初の噴火で流出した、玄武岩溶岩がつくる柱状節理の景観です。粘り気の少ない高温の溶岩は、谷に広がってなだらかな夜久野高原をつくりました。小倉の溶岩や広瀬橋付近の溶岩は、六角柱状の割れ目(柱状節理)が発達しています。溶岩の上部は急冷して水平な割れ目(板状節理)が発達し、最上部はガスが抜けて蜂の巣状の溶岩となっています。 玄武岩は、古くから地元、高内地区の石屋さんで採石・加工され、石碑や墓石などに広く利用されてきました。この玄武岩公園は当時の採石場の名残なのです。


出典:福知山の自然遺産 2014


6 夜久野町の中世代前期の重要化石

化石の町、夜久野
約2億5千万年前(中生代三畳紀)、下夜久野地域は陸地から少し離れた海底でした。その海底にたい積した砂岩・頁岩から、アンモナイトや二枚貝・腕足類などの海に住む生物の化石が多数採集され、夜久野町化石・郷土資料館に展示されています。中でも、タコやイカの仲間の祖先のアンモナイトの化石は、終戦直後に近畿北部で初めて発見され、夜久野を一躍有名にしました。日置の牧川沿いからも、ミネトリゴニア・ヘギエンシス(三角貝)やバケベリアなどの二枚貝、クモヒトデの化石等が産出しています。


出典:福知山の自然遺産 2014


7 富国鉱山と鉱石

ビスマスの鉱山
宮垣地区にあった富国鉱山は、明治20年代が最盛期で今は廃坑になっています。国内でも数少ない金属元素ビスマスを含む自然蒼鉛などの鉱石や、その他、黄鉄鉱なども見られます。林道わきには柵が設けられた坑道入口、東側の山腹の小さな水路沿いには封鎖された坑道入口がいくつか残っています。たまり水は鉄分で酸化し赤褐色になっています。昔は湧き出す水を沸かした岩戸温泉(泉質は鉄泉)もあり、にぎわっていました。林道わきの高台にその跡が残っています。中生代三畳紀の頁岩・砂岩の中にできた鉱床です。


出典:福知山の自然遺産 2014


8 花こう岩の巨石ー仏岩

地下のマグマが残したもの
国道176号線の与謝トンネルの手前にある谷を西へどんどん進むと、大きな砂防ダムが見えてきます。左側の山の斜面に尾根にとりつく踏み分け道があるので、急坂を10分あまり登っていくと、大きな白っぽい岩が見えてきます。これが仏岩です。この岩の上にたつと、 東の赤石岳を望む眺望が開けます。この地には鬼退治の道中に、7体の薬師如来像が刻まれたという伝説が残っています。この岩は、マグマが地下深くで固まった花こう岩という岩石です。同じ岩石は三岳山から宮津、丹後半島一帯で見られます。


出典:福知山の自然遺産 2014


9 三岳山

自然に囲まれた神秘な山
音無瀬橋から北方をながめると、ひときわ高くそびえるのが京都府北部で一番高い三岳山 (839.2m)で6千万年ほど前の花こう岩でできた山です。ながめる所によって姿も変わり、中佐々木仏坂からの眺望が三角形に見え一番きれいな姿ともいわれています。三岳山は御嶽山とも呼ばれ修験道の山としても知られ、八合目近くには三岳神社(古くは三嶽蔵王権現社)が祀られ、野際からは約109m毎に道のりを記した丁石が建てられています。夏から秋の早朝に喜多の三岳青少年山の家からの、山々を閉ざした雲海の眺望はまさに絶景といえます。


出典:福知山の自然遺産 2014


10 姫髪山

市街地の西北方向、山頂付近に大きく「大」の字が見られるのが姫髪山(406.1m)です。 昭和27年から毎年8月16日に送り火が点火される丹波大文字として市民から親しまれています。福知山藩主の朽木綱方は、隠居後江戸で19年間暮らしていましたが、姫髪山の美しい風光が忘れられず、亡き後は自分の歯を姫髪山に埋めるように遺言しました。その歯は長安寺から少し登った所に埋められ、そこには泰運公秀氏?歯碑と記された大きな石碑が建てられています。山頂からは福知山盆地がまるで箱庭のように美しくながめられます。


出典:福知山の自然遺産 2014


11 小野脇の採石場跡

海溝に堆積した砂岩
小野小町伝説が伝わる小野脇地区の西方に、大きな採石場のあとがあります。この採石場の石は福知山各地の砕石(バラス)でよく見かける薄い緑色をした硬い岩石で、福知山城のふもとや奥榎原の穴裏峠、東は観音寺から綾部市上林にかけて広く見られます。粗い砂が固まってできた岩石で、プランクトンの化石を調べて、今から3億年ほど前の古生代ペルム紀の海溝に堆積したことがわかっています。砂岩をつくった砂は、大陸の川を流れて海まで運ばれ、地震の時などにゆすられて海底を流れ下ったと考えられています。


出典:福知山の自然遺産 2014


12 福知山層とアオカズラ層

間氷期が残したもの
京都共栄学園のグランドの西側の林の中に、上の写真のような崖があります。いまは草木で見えなくなっていますが、砂・泥や砂利の地層の間に灰色の粘土層が3層ありました。中ほどの粘土層からは暖かい間氷期*、下の粘土層からは寒い氷期の植物化石が発見されています。そして中ほどの粘土層にある火山灰層が、鳥取県の大山火山から40万年ほど前に飛んで来たものであることもわかりました。福知山盆地は、氷河時代の40万年以上前にはできていて、由良川がはんらんするたびに、このような地層がたまっていったのでしょう。


出典:福知山の自然遺産 2014


13 かしの木台の青黒い石

海底の地殻の断片=はんれい岩
太平洋の海のプレートが日本列島の下に沈み込むときに、2011年に東北地方を襲ったような大きな地震がおこります。海のプレートが沈み込むときにはいろいろな岩石が運ばれてきます。上の写真のような青黒い石(はんれい岩)は、実はそのひとつなのです。3億年ほど前、図のように地球の中からわき上がってきた岩石が、海のプレートとして動いてきて沈み込み、地殻変動で再び地上に姿をあらわしたものなのです。同じ岩石は、夜久野から福井県大飯町にかけて帯のように連なり、「夜久野オフィオライト」と呼ばれています。


出典:福知山の自然遺産 2014


14 南陵中学校ー福知山城の段丘地形

由良川のたい積物2
福知山盆地には段丘地形が多く見られます。市街地近くでは、由良川・土師川の合流点に位置する福知山城の小高いところから西に市役所、南陵中学校、国交省道路管理事務所へと延びる約1500mに及ぶ丘がそれに当たります。由良川と土師川のしん食によって形成されたこの丘は、朝暉岡丘陵とも呼ばれ、今では新旧の切通し、道路の改修、宅地開発などによって、地形も大きく変わりました。昔の名残が身近に感じられる場所としてこの中位段丘を散策してみてください。


出典:福知山の自然遺産 2014


15 前田、堀の段丘地形

由良川のたい積物3
河岸段丘のできたころは、寒い氷期と暖かい間氷期の繰り返しによって海面が大きく変動した時代でした。海面の上下変動と土地の隆起にともなって川の勾配が変わり、しん食やたい積で段丘がつくられたのです。高位段丘は約20万年前、中位段丘は約10万年前、低位段丘は約3万年前に形成され、さらに川は下方しん食やたい積を続けて、現在の福知山の沖積盆地と現在の由良川になったのです。低位段丘のたい積物としては、前田のほか、由良川・ 土師川・牧川・和久川に沿って、長田、猪崎、向野、厚などにもわずかに分布しています。


出典:福知山の自然遺産 2014


16 長田野台地と養老水

由良川のたい積物1
国内有数の内陸工業団地として造成された長田野工業団地。この団地が立地する長田野台地は、土地の隆起やしん食により形成された段丘地形の景観です。長田野は約20万年前に形成された福知山盆地の高位段丘で、かつては陸軍の演習場として使用されていたこともありました。その後は手付かずの広大な原野でしたが、今ではその上に最新設備の工場が立ち並んでいます。工業団地の南西の端には、福知山藩主によって命名された養老水と呼ばれる湧水があります。この水は長田野の礫層中からの湧水で、今でも絶えることがありません。


出典:福知山の自然遺産 2014


17 ポンポン石と鏡岩

チャートがつくる景観2
三俣の平石地区には、むかしからポンポン石として知られる大きなかたい岩が道路わきにあります。これも層状チャートで、層と層の間に薄い泥の層が何枚もはさまれています。この泥が洗い出されてすきまができ、石をを叩くと、すきまの空気が振動して音を出す、というのがポンポン石の仕組みのようです。チャートの地層の境目(層理面)は大変平らです。 傾いて層理面が露出すると、鏡のように平らな岩肌が見えます。中六人部では「鏡石」、下川合では「鏡岩」として保存と普及に取組まれています。


出典:福知山の自然遺産 2014


18 三峠断層

活断層がつくる地形
福知山市多保市から三俣の平石へ続く谷は真っ直ぐなのが特徴で、断層でできた谷です。 平石集落南西の小山は、尾根から切り離された形です。これも断層でつくられた地形で、あいだの凹みを断層鞍部といいます。この地形をつくった断層を三峠断層といって、三和町大原を通って京丹波町まで伸びる活断層です。活断層とはこれからも動く可能性のある断層です。京都府のハザードマップでは、この断層が動くとマグニチュードが最大7.2の地震が起こるとされています。


出典:福知山の自然遺産 2014


19 棚田不動尊の滝

珍しい枕状溶岩が見られる滝
上六人部小学校付近から右折して林道から杉木立の小路に入ると、水の流れの音が聞こえ少し行くと滝が見えます。季節によって水量も変わり滝の姿も変わります。福知山市内にあるいくつかの滝と同様に、滝のかたわらには不動尊の祠があり、付近はきれいに手入れされて地域の人々の想いが感じられます。大正年代までは榧の木峠を越えて、綾部市安場からも多くのお参りがあったと伝えられています。この棚田不動尊の滝付近には、枕状溶岩と呼ばれる約3億年前の太平洋の底でできた珍しい岩石も見られます。


出典:福知山の自然遺産 2014


20 チャートのしゅう曲

チャートがつくる景観1
三和町一帯には、チャートという約2億年前の岩石が広く分布しています。この石は放散虫という珪質の微生物の遺骸が深海底にふりつもってできた岩石で、色は黒・赤・白など成分によってまちまちです。チャートと泥岩の層がしま模様になっているものを層状チャートといい、はるか南の海から運ばれてくるうちに波状にしゅう曲する場合がよくあります。上の写真にも見事なしゅう曲構造が見えます。チャートは非常にかたい岩石で、険しい山や渓谷をつくります。昔は火打石や石器に、現在は庭石等に使われています。


出典:福知山の自然遺産 2014


21 古生代・中生代の境界(P/T境界)

大量絶滅の記憶
今から2億5千万年前、海にすむ生物の90%以上が滅びるという、地球の生物史上最大の大事件が起こりました。その前後のできごとを記録する地層が、三和町菟原下に見られます。プランクトンの化石でできたチャートという岩石の上に、化石のない海底の黒い泥岩の地層があって、海の生物が絶滅していく経過が記録されているのです。この地層は、P/T 境界と呼ばれる日本でも10例ほどしかない大変貴重な地層です。この大量絶滅の原因は、巨大火山噴火を引き金にして、海水の酸素がなくなったためという説が有力です。


出典:福知山の自然遺産 2014


22 鹿倉山

中生代チャートの山
三和町菟原中の龍源寺から西南方向を眺めれば、遠くに稜線が連なる山塊がひときわ目に入ります。兵庫県との境に位置する鹿倉山 (547.8m)は、地元では古くから信仰の対象として親しまれてきました。古くは「四神楽山」とも呼ばれ菟原中にある轟水満宮横の登り口からゆるやかな登山道を1時間ほど歩き、熊野権現神社から赤いテープを目印に登れば頂上にたどり着きます。頂上は草地で広くはありませんが、平らになっていて眺望がよく四方の山々や家並み、道路がよく見渡せます。


出典:福知山の自然遺産 2014


23 烏ヶ岳、鬼ヶ城

古生代後期の地層の山
由良川に架かる音無瀬橋から東北部に眺められる風景。どちらが高いとよく尋ねられますが、左側の鬼ヶ城の標高が544m、そして右側の烏ヶ岳は536.5mです。烏ヶ岳頂上には、アンテナなどの通信設備が林立しています。それに対して、頂上部が平らに見えるのが鬼ヶ城です。鬼伝説が伝わる鬼ヶ城は、頂上部付近では山城の曲輪跡や石垣が見られます。 ともに市民に親しまれる身近な山として周辺地区からの三つの登山道も整備され、徒歩で1〜2時間もあれば頂上に登ることができ、眼下に広がる盆地地形の市街地を一望することができます。


出典:福知山の自然遺産 2014


24 大江町の中・古生代の化石

海底の時代の証人
大江町公庄周辺と南山一帯は、以前から化石がよく出ることで知られています。南山東部一帯で、古生代末の海に栄えた二枚貝の化石や貝にそっくりの腕足類の化石が見つかります。また、二枚貝やアンモナイトの化石が発見され、夜久野と同じ中生代初めの大陸の縁の浅い海の地層と考えられています。公庄付近でも古生代末から中生代初めの海の生物の化石が見つかり、古生代後期のフズリナ(紡錘虫)やウミユリ、二枚貝の化石などがあります。


出典:福知山の自然遺産 2014


25 公庄の円礫岩

中生代初期の海岸線
石の多い海岸に行くと、石ころは波に洗われてコロコロとした丸い形をしています。高知の桂浜で見た人もあるでしょう。そんな丸い石ころが大江町公庄の山中でみられます。こぶし大の丸い石ころが厚い地層をつくっています。このような地層は、昔ここが海岸であった証拠になります。この地層は、今から2億年ほど前の、夜久野でアンモナイトの化石が見つかる地層と同じ時代であることがわかっています。日本列島が大陸の縁であったその頃海岸線が公庄のあたりにあったのでしょうね。


出典:福知山の自然遺産 2014


26 加久藤火山灰層

九州から飛んで来た火山灰
大江町南有路の有仁小学校横のがけにある砂利の地層には、由良川の河原にはたくさんころがっている丸いチャートの砂利が見当たりません。この地層がたまった当時は、由良川はここを流れていなかったと考えられます。その時代を決める手がかりが校庭にありました。白い粘土のような地層からとった土を手でこするとキラキラ光る火山ガラスの破片がみえてきます。これを調べると、九州の霧島火山付近から飛んで来た加久藤火山灰という33万年前のものであることがわかりました。このころ由良川はどこを流れていたのでしょう?


出典:福知山の自然遺産 2014


27 銚子ヶ淵

雲原川の渓谷
大江町を流れる宮川に流れ込む支流の一つに雲原川があり、「銚子ヶ淵」はその中流付近にあります。雲原から天座を通って橋谷の集落に入る前の一番高いところ付近から、山道を6、7分下り、さらに急な斜面を降りていくと、目の前に豊かに水をたたえ、ゆったりと流れる「銚子ヶ淵」があらわれます。大きな流れではありませんが、両側を山にはさまれ、ゆるやかに流れる光景は、神秘的ともいえるほどです。この景観は、約3億年前のたい積岩が、花こう岩のマグマの熱で変成したホルンフェルスというかたい岩石がつくりだしたものです。


出典:福知山の自然遺産 2014


28 仏性寺鉱山と鉱石

モリブデンの鉱山
府内で唯一の輝水鉛鉱の鉱山で、六角柱状の美しい結晶が昭和8年に発見されました。モリブデンの鉱石です。モリブデンは銀白色の金属で、合金材料、耐熱材料、電子機器材料などに利用されます。また、兵器生産に欠かせない特殊鋼の原料として戦争中の重要資源でしたが、昭和20年、終戦とともに閉山しました。母岩の粘板岩が、花こう岩の貫入により熱の影響を受けてできた数cmの石英脈の周辺に見られます。輝水鉛鉱の他に黄銅鉱・黄鉄鉱・ 磁硫鉄鉱なども産しましたが、現在は坑道入口が残るのみです。


出典:福知山の自然遺産 2014


29 岩塊流と二瀬川渓谷

岩塊がつくる景観
大江山は、鬼退治伝説の山として有名です。鬼伝説にふさわしい自然として鬼ヶ茶屋の裏山や二瀬川渓谷に転がる「ごうら」と呼ばれる巨大な岩塊は見落とせません。生い茂っている木を取り払ったとしたら、乗用車よりも大きな岩の塊が、まるで岩の海のように一面に広がっているようすが見えるはずです。そのような景観は「岩海」として天然記念物になっているところもあります。岩塊がたい積したのは、おそらく氷河時代のある時期のことで、背後の山のかんらん岩が崩れて、二瀬川を埋めつくしたこともあったでしょう。


出典:福知山の自然遺産 2014


30 毛原の棚田

土石流がつくった地形
福知山市大江町の毛原地区は棚田の美しい景観で知られています。ゆるやかな曲線を描く水田と蛇行した農道の曲線美が目に美しく、田植えの水面に映る青い空と白い雲、収穫時の黄金色に光る稲穂など四季折々の風景が広がり、伝説と歴史の里に広がる日本の原風景を見ることができます。棚田は全国的にも地すべり地によく見られますが、毛原は地すべり地ではなく、背後の山から流れてきた土石流がたまってできた傾斜地のようです。地すべり地と同じように土が深い、 山間部にあって傾斜がゆるい、水が引きやすい等の理由で水田が開かれたのでしょう。


出典:福知山の自然遺産 2014


31 千丈ヶ滝をつくるかんらん岩

海底からせり上った大江山
グリーンロッジから登山道に沿って1kmほど登ったところに、右に橋を渡る三差路があります。この橋を渡り、野鳥の森の建物を左に見てしばらく進んだところから振り返ると、 遠く谷間に、折れ曲がって白い糸を引いたような滝が見えます。千丈ヶ原から急傾斜の岩肌を屈曲して数10mを流れ落ちる千丈ヶ滝です。
この滝をつくる黒っぽい岩はかんらん岩です。黒色から暗緑色の緻密で重い岩石で、この岩石が大江山連峰の大部分を構成しています。約4億5千万年前(古生代オルドビス紀)に海底の地下深くでできた岩石が、今、地表に現れているのです。


出典:福知山の自然遺産 2014


32 河守鉱山と鉱石

銅の鉱山
大正6年に鉱床が発見され、昭和8年から本格的に採堀が開始されました。坑道は深さ500mにも達します。鉱石は蛇紋岩やかんらん岩中に含まれる黄銅鉱が主で、磁硫鉄鉱やクロム鉄鉱なども産します。最盛期には鉱山施設や社宅が立ち並び、千人以上の人が住む京都府一の鉱山として栄えましたが、鉱脈も少なくなり昭和40年代に廃坑。当時の選鉱場跡の捨て場 (ズリ)では、今でもずっしりと重い石をハンマーでたたくと黄銅鉱や磁硫鉄鉱などの金属光沢の鉱石が見つかります。当時の鉱山跡の一部は、現在酒呑童子の里として整備されています。


出典:福知山の自然遺産 2014


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